お久しぶりです、あさいです!
近ごろはいろいろ考えることがあってモヤモヤしたり、パッとしない日が続いています。
気分が晴れない日は、心も体も元気よく!レッツ!ウォーキング!
幸いにも滋賀県には古くから使われてきた“道”があります。
「古(いにしえ)の道をただひたすら歩きたい!」
こんな単純な動機から“北国街道(ほっこくかいどう)”を歩くことにしました。
▼歴史ガイドの記事はこちら
「ご近所の旅に出かけよう〜!」
北国街道の地図について
「近江北国街道中絵巻(近江歴史回廊)」の地図を参考にさせてもらい歩きます。
北国街道(ほっこくかいどう)中山道鳥居本から分岐し、琵琶湖東岸を経て越前・北陸方面へとつながる道。
琵琶湖西岸を通る道は十分に整備されていなかったため、京から陸路で越前方面に行くにはこのルートが使われました。軍事的にも重要な地域であり、長浜城が築かれ城下町が繁栄しました。街道沿いの道標には、観音巡礼や伊勢への道を案内する道標などが多く見られ、多くの旅人でにぎわっていた往時が偲ばれます。鳥居本宿・長浜宿・木之本宿・中河内宿が置かれました。
一方琵琶湖を活用し、船を使って人や荷物を運ぶ舟運が発達しました。京・大阪からの荷物は大津から船で運ばれるということも多くありました。
※近江北国街道中絵巻(近江歴史回廊)より一部引用
※北国街道を外れて寄り道もしますので、実際の道と異なる箇所がございます。
北国街道の鳥居本宿(彦根市)からスタートして北上!
まずは、スタート地点がある滋賀県彦根市の鳥居本(とりいもと)までやってきました。
鳥居本駅舎を出ると目の前には、車の交通量が多い国道8号線があります。北国街道の出発地点へ向かいます。
国道8号線を平行に一本西側の道へ入ると、中山道(63番目)鳥居本宿の街並みが拡がります。
赤玉神教丸本舗
腹痛や下痢止め薬で有名な赤玉神教丸本舗(創業は1658年)有川家の建物です。
国指定重要文化財に指定されていて、建物の中は赤玉の歴史がわかる展示室があるので、誰でも見学することができました。
名称 | 赤玉神教丸本舗 |
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住所 | 滋賀県彦根市鳥居本425 |
アクセス | 近江鉄道鳥居本駅(東口)より、徒歩5分程度 |
URL | ●WEBサイト |
鳥居本宿の外れまで歩いて行くと、今回の旅のスタート地点です。
中山道・北国街道の分岐点へ最短ルートで訪れたい場合は、「近江鉄道フジテック前駅」で下車してください。
中山道の鳥居本宿は見応えがあるので、鳥居本駅から歩く方がおすすめです。
普段なら気にもしないこのような石だって、「その昔に何か使われたものなのでは?」と気になってくる。
まさに目の前に琵琶湖へと繋がる矢倉川が流れていました。
昔の人はこの磨針峠(すりはりとうげ)を通って、京都と東京(江戸)を往来していました。明治天皇や弘法大師までもが通られた道です。
今回は、北国街道を歩くのがテーマなので、右折せずにこのまま真っ直ぐ国道沿いを北へ進みます。
北国街道米原宿を歩く(米原市入口ー青岸寺)
鳥居本から国道8号線沿いを歩いてきました。ここからは彦根市から米原市へ入ります。
米原市に入って間もなく、国道8号線沿いから東側の集落へと入って行きます。
この辺りから北国街道米原宿へと入ります。
ちょっとここいらで、休憩しましょう。
太尾山の麓にある曹洞宗青岸寺(せいがんじ)さんへ立ち寄ることに。
青岸寺
青岸寺は、滋賀県米原市の太尾山麓にある曹洞宗のお寺です。境内にある庭園は、国の名勝に指定されている「青岸寺庭園(築山林泉式枯山水庭園)」で有名です。
新幹線が停車する駅が、すぐ近くにあるとは思えないくらいの隠れスポット的なお寺です。次は雨の日に訪れて庭園を眺めてみます。
名称 | 青岸寺 |
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住所 | 滋賀県米原市米原 669 |
電話 | 0749-42-0463 |
アクセス | ●電車を利用の場合: JR琵琶湖線米原駅(東口)より、徒歩約7分 ●お車をご利用の場合: 米原ICより車で約10分 |
駐車場 | ●無料、10台分ほど駐車可能 |
URL | ●WEBサイト |
次はランチしたいですね。ここからどんどん歩いて行きましょう。
道がY字路になっています。かめや旅館の角には江戸時代後期のものと記された道標がありました。
鉄道ができる以前までは、現在のJR米原駅の東口付近に米原湊があり、湖上交通に欠かせない中継地点でもありました。
そこで荷物を乗せ大津湊(京都・大阪)へ物資を運んだ時代があります。
ここ北国街道米原宿は、中山道からもほど近く、北陸や岐阜方面から人や物が集まりやすく宿場町もさぞ賑わっていたでしょうね。
この地の強みは、大きな街道と水辺(入江内湖・びわ湖)との距離が近かったこと。
米原がいまの時代でも交通のターミナルである理由は、“土地の利便性”が根本にあったのですね。
間も無く米原宿を抜けたところ。
現在の米原警察署の北側の道です。90年代まではこの場所に米原中学校(現在は入江)がありました。校庭があった道を通り抜けていきます!
ここからまた国道8号線沿いに出ます。車の交通量が多いエリアなのでとくに気をつけて行きましょう!
米原駅ができる以前、この線路の付近は山だったと聞いたことがあります。
いまは陸橋で向こう側へ渡れるようになっていますが、昔はどんな景色があったのだろう。
飯村(いむら)の渡しを越えて(飯村ー坂田ー長沢)
しばらくして疲れも出てきたのか、意味もなく新幹線に手を振ってみたり、
これ絶対古い石柱なんだけれど、何が書かれているのかさっぱりわからないとか、
「旧」北国街道ってなんだよ、ならば「新」があるんじゃね?とか、マジメな話しと、テキトーな話で、テンションはMAXに!
これには人足のルールがあったと記されています。定められた額以上の賃金を取ってはならない、それに貧しい人たちからは賃金をとらなかったと。
さぁ、川を渡って飯村(いむら)の中へと進みましょう。
ここ飯村は、戦国武将の山内一豊(やまのうちかずとよ)の妻「千代」のふるさとです。
せっかく来たので立ち寄ってみましょう。
地図をヒントに探しながら、若宮公園を探すことに。
若宮氏館跡(若宮公園)
若宮公園に到着です。ここは2006年の大河ドラマにもなった、山内一豊の妻「千代」の生誕の地と伝わっています。
現在の館跡は、若宮公園となっていて、若宮氏顕彰碑が建立されています。
名称 | 若宮氏館跡(若宮公園) |
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住所 | 滋賀県米原市飯538 |
アクセス | JR坂田駅より、徒歩10分程度 |
歴史に少し触れたところで、北国街道の旅は続きます。
この頃には、完全に口数も減りました。
顔から笑顔が消えました。
カメラすら気にしなくなりました。
久々に現代を象徴する建物を見つけたので、迷わず駆け寄りました。
しまいには、「そもそも何のために歩いてるんだよ」と愚痴りました。
気を取り直して再び歩きましょう。
JR坂田駅を越え、旧国道8号線沿いを歩いてます。歩道の幅が狭いですね。
石柱には北国街道の他に、長沢城内堀跡と記されています。
さらに歩くと、明治11年(1878年)北陸東海御巡幸(ごじゅんこう)の際に明治天皇が休憩された福田寺さん。参道の奥には本堂がありました。
歴史ある北国街道沿いだけあって、気になる要素が盛り沢山です。
北国街道を歩く旅は長浜市へ突入
長浜市へ突入しました!
普段は車や電車で通り過ぎていくだけの景色の中、自分の足で歩くことで、ご近所の知らなかったスポットに気がづき、久しぶりに達成感がありました。
なによりも歩いている間は、日ごろのモヤモヤした気持ちをすっかり忘れていたので、結果的に最高に楽しい1日となりました。
鳥居本(彦根市)から田村(長浜市)までのおよそ10キロ程度の距離ですが、自分の足で歩くことで、この街道沿いで人々が「どんな暮らしをしていたのか」「どんな仕事をしていたのか」「どんな風景を見ていたのか」その地域にしかないものを見ることができました。
まだまだこの北国街道の旅は、はじまったばかりなのでどんな発見があるか楽しみです。旅は続きます!
次回【北国街道をゆく〜田村ー長浜編〜】に続きます。乞うご期待!